岡崎空襲を記録する会HPへ

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1945年7月

 20日午前0時52分から、岡崎市はアメリカ軍のB29爆撃機127機(出撃130〜132機)の波状爆撃を、約2時間に亘って受けた。爆弾は3種類、M47(100ポンド約50キログラム)の焼夷爆弾と、E46(M69の油脂焼夷弾38個の集束弾)と、M17(テルミット・マグネシウムにアルミニュームと酸化鉄混合の爆弾)であった。投下量は857トン。岡崎市(当時は旧市部で人口約9万人)の中心街は火の海、焼け野原となった。

 アメリカ軍は、市建造地域の68%、中心市街地は81%破壊したと報告している。他市と比べると面積当たりの爆弾投下量は、400市区町村で10位、都市別被破壊率は18位(中日新聞)で同年同日空襲の福井3位、日立6位と共に酷かった。

 戦災・空襲死亡者は、当初207名(内4名は機銃掃射)行方不明13名(岡崎戦災復興誌)とされたが、その後250名(2008年)さらに記録する会が、調査、現在280名(内8名機銃掃射)となっている。罹災戸数は7,543戸、罹災人口は32,068人であった。

ー『岡崎空襲体験記 第4集 総集編』よりー


 

「岡崎空襲を記録する会」は毎年7月19日に市民慰霊祭を開催したり、

資料の収集保管・戦争体験を語り継ぐ活動・体験記の普及を行なっています。

 

岡崎市の市民活動団体に登録し、活動しています。


お知らせ

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「入会案内パンフレット」を新しく作成しました!

カラー両面刷り

サイズ:A4・三つ折り

 

ご希望の方は『Contact(問い合わせフォーム)』から「入会案内パンフ希望」の旨を送信ください。

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『岡崎空襲体験記 第四集』販売中!

〆切日を越えての応募があり、第四集に73点もの手紙・体験文・記録が集まりました。

 

「思い出したくないが、忘れることはない」

「歴史は繰り返すというが、戦争だけは駄目」

 

それぞれの方が戦争に対する想いを綴り、平和へのメッセージとなっています。

 

第四集を『総集編』とし、体験記と共に、空襲・戦争に関わる歴史や調査・関係資料を加え、体験記を支え、深め、補うものとして付け加えました。

 

この私たちの第四集は、戦争・空襲の実際、実情を、そのまま書いており、大勢の方々に読んでほしいです。多くの市民の方々に読まれ、戦争を憎み、平和への想いが拡がることをねがっています。

 

                            2014年3月21日

                               岡崎空襲を記録する会

                          (第四集「はじめに」より抜粋)

第四集の取扱いがまだあります。

ご希望の方は『Contact(問い合わせフォーム)』から「第四集購入希望」の旨を送信ください。

 

2014年7月1日発行

頒価:1,000円/冊

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